LSIだけでは、電卓戦争に勝ち残れないことは明らかでした。電卓は、入力部分である10キー、数値を表示するディスプレイがある以上、小型化には限界があります。そこで小型化から薄型化へ方針を転換しました。 薄くするには、ディスプレイの薄型化、実装の高密度化、電源部の小型化が求められます。それには、より少ない電力で機能させることがポイントになります。そこで、LSIに低電力消費のC-MOSを使い、ディスプレイには液晶を採用することにしたのです。
液晶の存在は、1888年にオーストリアの植物学者ライニツァーによって発見されました。「液晶」とは、固体と液体の中間にある物質の状態(例えば石鹸水など)を指す言葉です。 1963 年RCA社のウィリアムズは、液晶に電気的な刺激を与えると、光の通し方が変わることを発見。5年後(1968年)に同社のハイルマイヤーらのグループが、この性質を応用した表示装置をつくりました。これが液晶ディスプレイ(LCD = Liquid Crystal Display)の始まりです。翌年のテレビ番組で液晶の存在を知った当社の技術者が、表示装置用にできないかと、グループで研究開発を進めていました。それが、電卓戦争を勝ち抜くための切り札として、全社の期待を一身に担うことになったのです。しかし、開発目標は1973年(昭和48年)4月と、あと1 年しか残されていませんでした。
開発チームによる必死の努力の結果、1973年(昭和48年)、液晶の実用化に成功し、何とか目標通り商品を発売できました。1枚のガラス板に、液晶、C -MOS-LSI、配線など計算機の全機能を集約したCOS化ポケット電卓〈EL-805〉です。単3電池一本で、100時間使える画期的なもので、これまた大ヒットしました。 液晶は、この後さらに技術革新を進め、電卓、時計から、AVや情報関連機器はもちろん、あらゆる分野で応用されるキーデバイスへと発展し、当社の新しい経営の柱に育っていったのです。