実際にノートサイズを実現したパソコンは、83年に米国で発売された「タンディ100」である。これは40桁×10行の液晶ディスプレイがあり、エディターソフト、表計算のマルチプラン、プログラミングのBASIC、そして300bpsのモデムが内蔵され通信ソフトもついていた正に「モバイルマシン」だった。このマシンは発売と同時に欧米の新聞社や通信社の記者たちがこぞって使いはじめ、84年に開催されたロサンゼルス・オリンピックではスタジアムから書いた原稿をそのままパソコン通信で速報記事として入稿し、新聞制作に大きな変革をもたらした。ただ、「タンディ100」はハードディスクがなかったという点で、タイプライターと現在のノートパソコンの中間に位置する存在だった。ちなみにこのパソコン、実際に製造していたのは日本の京セラ、設計したのは、当時マイクロソフト副社長だった現アスキー特別顧問の西和彦氏という国産機。小型・軽量化の技術は日本のお家芸といわれるが、それはパソコンの世界でも同じだったわけである。
次にエポックとなったのが86年に東芝が発表した「T-3100」。ノートサイズにはならなかったが、ひざの上で使える"ラップトップ"サイズにハードディスクを内蔵。3.5インチFDD、プラズマディスプレイ液晶という装備で世界中をアッといわせた。ちょうどこのころはダウンサイジングの流れに乗って、オフィスへのパソコン導入が進んでいた。ソフトウェアの世界でもロータスが「1-2-3」を、マイクロソフトが「エクセル」を発表して、ビジネスマン個人がコンピュータを使う時代が到来しており、東芝も欧米をはじめとしたビジネス市場をにらんで「T-3100」を売り込んだ。
そして89年東芝はグローバル化する時代の要請に応えるかのように、出張などでも持ち運びが可能なA4ノートサイズに収まるパソコンを実現。この「J-3100 SS」にアラン・ケイの理想のコンピュータ像を重ねて「ダイナブック」と名付けた。現在の世界のノートパソコンは、すべてこの東芝の「ダイナブック」の延長線上にあるといってもいいだろう。